1住宅着工の推移~160万戸から70万戸台まで、増税・法改正と経済危機による変動
平成の歴史は、バブルと消費税導入によって幕を開けました。平成元年(1989年)は世の中バブル真っ只中という好景気で、4月には消費税3%が導入され、その年の年末に日経平均株価は過去最高を記録します。年間住宅着工は167.3万戸。平成30年間で最も着工が多かったのが、平成元年です。
その後バブル崩壊で、平成3年度(91年度)には134万戸まで落ち込みますが、その後の5年間は、阪神大震災の復興需要や、平成9年の消費税5%への増税へ向けての駆け込み需要発生などで、着工は上向きました。平成8年度(96年度)の着工は163万戸まで上昇し、持家着工は63.6万戸と平成でのピークを迎えます。
5%増税後の平成9年度は、18%減の134万戸まで一気に落ち込み、その後の住宅着工は転機のある度に戸数を減らしながら、右肩下がりに縮小して来ました。平成30年の間の住宅着工戸数は、最多の160万戸台から70万戸台まで、2倍以上の振れ幅で大きく動いたことになります。
着工に影響を与える転機は、増税や経済的ショック、法改正に自然災害です。初めは消費税の導入とバブル崩壊、その後5%への増税、次の転機となるのは、平成17~18年に起きた耐震偽装のヒューザー・姉歯事件からの建築基準法の厳格化、続く平成20年のリーマンショック、そして平成25年の消費税8%への増税です。
平成元年から8年までの間は、「バブル絶頂→崩壊から増税前」といった期間で、平均着工戸数は153.6万戸。平成9年から18年の10年間は「5%消費増税後から基準法改正前」の期間で、平均着工は121.8万戸。その後2年間は基準厳格化で中高層の着工が劇的なダメージを受けて100万戸強、そして追い打ちを掛けるようにリーマンショックが起き、「リーマン危機後の2年間」である平成19~20年度は、77.5万戸、81.9万戸という平成の中で最も着工が落ち込んだ2年間となりました。
平成23年の東日本大震災を経験し、住宅業界の意識は防災に向い、8%の増税を超えて以降の平成30年度までの平均は92.3万戸。100万戸を超えることはありませんが、何とか持ちこたえているといった状況です。そして令和元年10月、消費税が10%に引き上げられ、支援策の終了後には、再び住宅市場は大きな試練を迎えることが予測されます。
2業界勢力図変化、大手ハウスメーカーからビルダーの時代へ
業態別にみると、平成前期は右肩上がりで来た住宅メーカーの時代が訪れ、後半から徐々にビルダーが台頭してきました。
平成の初めから、一貫して住宅会社のトップを走り続けてきたのが、積水ハウスです。そしてミサワホーム、積水化学、大和ハウス、パナソニック ホームズ(当時のナショナル住宅産業)なども、平成初めは棟数をぐんぐん伸ばした時代です。バブル崩壊後もしっかりと伸びを示して、平成7~11年度の5年間、持家プレハブ比率は20%を超えました。阪神大震災の復興需要、続く消費増税への駆け込み需要もあって、持家着工が63.6万戸あった平成8年度(96年度)には、大手ハウスメーカーの販売棟数もピークを迎えます。
この年の大手8社の合計販売棟数は15万5200棟。棟数では前年比7.5%の伸びを示しました。絶対王者の積水ハウスは38,200棟規模という圧倒的な存在感で、以下は積水化学28,200棟、大和ハウス22,600棟、ミサワホーム21,900棟、ナショナル住宅産業15,000棟、住友林業11,300棟と、ここまでが1万棟を超えるハウスメーカーでした。
翌平成9年度の反動減は大きく、持家着工も29%減少して45.1万戸なります。大手ハウスメーカー各社も増税を境に、棟数は下降線を辿っていきました。持家着工も増税後の4年間は40万戸台を推移しましたが、平成13年度(2001年度)には40万戸割れとなり、以降平成20年度まで30万戸台を推移し、40万戸を超えることはありませんでした。旧世代である殖産住宅、太平住宅などの月販3社、ニッセキハウスなどは次々と倒産していきました。
そしてリーマンショックのあった平成20年(2008年)には、日本の人口は1億2,808万人でピークを打ち、持家着工が平成に入って初めて30万戸を割ります。ただ翌22年度には持家着工は再び30万戸台を回復し、次の8%増税前まで増え続けて35.3万戸まで回復しました。ここまでは持家30万戸時代です。そして平成26年度の8%増税以降、持家20万戸台という時代に突入します。
平成はデフレが続いた時代でもあり、平成後期は、ビルダーが台頭してきます。注文系ではアキュラホーム、タマホームの登場、分譲系では飯田グループ各社がバブルの痛手を克服して、本格成長を始めます。アキュラホームはコストの削減により適正価格の住宅を世に送り出しました。そして平成11年(99年)、九州の福岡県で誕生したのがタマホームです。瞬く間に九州全域にエリアを広げ、リーマンショックのあった平成20年度に初めて年間1万棟を突破。拠点数も拡大を続けて全国展開を達成します。デフレ期の申し子として、大手の棟数が縮小する中、躍進を続けました。タマホーム以降も、ローコストビルダーが数多く登場し、成長するビルダー、姿を消すビルダーも多数出ました。
分譲系では飯田グループの存在が、市場を一変させたと言えるでしょう。6社それぞれが首都圏からエリアを拡大しながら成長し、そして平成25年11月、飯田グループ6社が経営統合を果たして、4万棟、売上高1兆円の巨大企業が誕生することになります。それ以外にも各地の分譲系ビルダーの活躍もあって、平成終盤の着工では建売住宅のみが堅調に伸ばしていきました。消費者の購買力の低下、価値観の変化ということもあって、平成後期はハウスメーカーからビルダー優位の市場に変化していったと言えます。
3自然災害と住宅市場
平成の30年間には自然災害も多発しました。平成7年の阪神大震災、平成23年の東日本大震災を始め、新潟、熊本、北海道、大阪でも大きな地震がありましたし、昨年平成30年は台風、水害、酷暑といった自然災害が立て続けに襲って、住宅業界に多大な影響を与えたことも記憶に新しいところです。
住宅業界としてその都度、耐震性や防災力という点を考えさせられることになりました。そしてパリ協定以降は環境問題にも注目が集まり、ZEHの普及や再生エネ活用も積極的に推進されています。省エネ住宅の義務化は、令和時代に先送りとなりましたが、異常気象による災害が多発する今の時代、温室効果ガスの排出を抑え、高い断熱性能を持った住宅は、これからますます力を入れていかなければならないでしょう。環境問題から空き家問題まで、令和時代への課題は山積しています。AIやIoTの時代ともなり、「平成」と「令和」の住宅市場は、まるで違う業界構造になっていくと思われます。
(テキスト/株式会社住宅産業研究所 関 博計さん)